2011年 07月 03日
明治外交 |
明治政府最大の外交目標は幕末に結ばれた不平等条約を改正することで、1858年の日米修好通商条約から1911年の小村寿太郎が関税自主権回復するまで半世紀以上経って目標は達成されました。岩倉使節の失敗、井上外交の欧化主義の挫折、大隈の秘密外交の失敗、青木外交の大津事件による中断と紆余曲折の末に平等を勝ち取りますが、この間程、複雑な外交戦を繰り広げたことは日本史上も稀な方ではないでしょうか。まして、2百年以上も鎖国をしてきた国です。
何故このような話をするかと言いますと、実はこの過程で面白い議論がなされていたからです。今のあの議論のでたらめさと、現代政治が明治政府に遠く及ばないことを痛感させられます。私たちは戦後に戦前のすべてを劣ったものとして教育されましたが、しかし戦前こそが日本の誇りであり、それを蔑ろにしてきたためにこんな荒んだ民主党社会とも言うべき、暗黒時代に突入してしまったのです。
何故このような話をするかと言いますと、実はこの過程で面白い議論がなされていたからです。今のあの議論のでたらめさと、現代政治が明治政府に遠く及ばないことを痛感させられます。私たちは戦後に戦前のすべてを劣ったものとして教育されましたが、しかし戦前こそが日本の誇りであり、それを蔑ろにしてきたためにこんな荒んだ民主党社会とも言うべき、暗黒時代に突入してしまったのです。
by kokuminheiwa
| 2011-07-03 05:27