2010年 01月 11日
藤井と菅 |
毎日新聞に今回の財務大臣更迭劇の特集がありました。鳩山は、はじめ仙谷を藤井の後任にしようと考えていました。また、菅は野田を昇格させようとしていたそうです。しかし、事態は急変しました。
>小沢氏周辺からは「菅氏はいいが、仙谷、野田両氏の起用は望ましくない」との声が伝えられた。
>同日夕、内閣府で政務三役会議中だった菅氏を電話で呼び、官邸に着くなり「財務相をお願いしたい」と要請。「野田氏か仙谷氏」と思い込んでいた菅氏は驚いたが、首相は揺るがず、続いて仙谷氏を呼び国家戦略担当の兼務を求めた。
小沢周辺が横槍を入れてきて、首相は急に菅を財相にすることにしました。
幻の仙谷財務相(その1) 鳩山首相、「小沢氏配慮人事」で一転
http://mainichi.jp/select/seiji/archive/news/2010/01/11/20100111ddm001010084000c.html
そして藤井の辞任にも小沢が関与していたことが分かります。
>先月16日、10年度予算編成での党の重点要望提出のため首相官邸に乗り込んだ小沢氏は「財務省は予算編成を急げといっているようだが、国民の要望を踏まえて決定してもらいたい」と露骨に批判し周囲を驚かせた。
>小沢氏は申し入れ前、党幹部に関係閣僚だけでなく副大臣や政務官も同席させるよう指示し、「政治主導になっていないと、はっきり言う」といきり立った。党幹部が「やめた方がいい」と説得しても聞かず、重ねて反対する側近の細野豪志組織・企業団体委員長を「お前は若い!」と怒鳴りあげるほどだった。
>ある閣僚は「財務省をコントロールできてない」との小沢氏のぼやきを聞いている。小沢氏の発言を党幹部は「藤井さんへの批判だった」と語る。この夜、藤井氏は関係者に「もう大臣をやってられない」と漏らした。
>翌29日の与党3党幹事長らの忘年会で小沢氏が「検査入院なんかじゃない」との見方を示すに至って「辞意」に現実味が帯びた。続く30日の記者会見では予算編成について「相当な重圧」「しんどかった」「相当疲れた」と連発。公然と「弱音」を吐いた。
>旧知の渡部恒三元衆院副議長は今月10日、民放テレビ番組で「『心身ともに疲れてしまいました』と電話で言っていた。この人がもっとおれを理解してくれてもいいはずなのにという苦労があったと思う」と裏話を披露。個人名こそ避けたが、「この人」と称した小沢氏との関係に疲れたのではと心中を察してみせた。
幻の仙谷財務相(その2止) 藤井氏、12月に漏らした辞意
http://mainichi.jp/select/seiji/choice/news/20100111ddm003010176000c.html
菅の実力は今のところ分かりませんが、小沢が据えた財務大臣であることは間違いありません。小沢に敵対した藤井を引きずり下ろし、従順な管直人を財務省に据えたのが、今回の財相更迭だったのでしょう。
>小沢氏は申し入れ前、党幹部に関係閣僚だけでなく副大臣や政務官も同席させるよう指示し、「政治主導になっていないと、はっきり言う」といきり立った。党幹部が「やめた方がいい」と説得しても聞かず、重ねて反対する側近の細野豪志組織・企業団体委員長を「お前は若い!」と怒鳴りあげるほどだった。
要望書提出の時に、怒り狂っていたのも藤井への圧力だったのかもしれません。それなのに、藤井が言うことを聞かず、自分の考える子ども手当の所得制限を見送ったりしたので、より圧力をかけて辞任に追い込んだのでしょう。自分に逆らう人間をとことん排斥するのが彼の行動原理です。
どちらにせよ、より小沢の支配が強化されたことは事実です。民主党は行政機関により多くの党員を送り込もうとしていますが、政治主導とは政府の上に党を置く、中国や北朝鮮のような一党独裁国家のようにすることなのでしょうか。いつの間にか、簡単に党幹事長の言う事に逆らう大臣を排斥し、従順な大臣を据えられる国になってしまっていました。これは自民党が最も腐敗していた経世会支配の頃に似ています。
>小沢氏周辺からは「菅氏はいいが、仙谷、野田両氏の起用は望ましくない」との声が伝えられた。
>同日夕、内閣府で政務三役会議中だった菅氏を電話で呼び、官邸に着くなり「財務相をお願いしたい」と要請。「野田氏か仙谷氏」と思い込んでいた菅氏は驚いたが、首相は揺るがず、続いて仙谷氏を呼び国家戦略担当の兼務を求めた。
小沢周辺が横槍を入れてきて、首相は急に菅を財相にすることにしました。
幻の仙谷財務相(その1) 鳩山首相、「小沢氏配慮人事」で一転
http://mainichi.jp/select/seiji/archive/news/2010/01/11/20100111ddm001010084000c.html
そして藤井の辞任にも小沢が関与していたことが分かります。
>先月16日、10年度予算編成での党の重点要望提出のため首相官邸に乗り込んだ小沢氏は「財務省は予算編成を急げといっているようだが、国民の要望を踏まえて決定してもらいたい」と露骨に批判し周囲を驚かせた。
>小沢氏は申し入れ前、党幹部に関係閣僚だけでなく副大臣や政務官も同席させるよう指示し、「政治主導になっていないと、はっきり言う」といきり立った。党幹部が「やめた方がいい」と説得しても聞かず、重ねて反対する側近の細野豪志組織・企業団体委員長を「お前は若い!」と怒鳴りあげるほどだった。
>ある閣僚は「財務省をコントロールできてない」との小沢氏のぼやきを聞いている。小沢氏の発言を党幹部は「藤井さんへの批判だった」と語る。この夜、藤井氏は関係者に「もう大臣をやってられない」と漏らした。
>翌29日の与党3党幹事長らの忘年会で小沢氏が「検査入院なんかじゃない」との見方を示すに至って「辞意」に現実味が帯びた。続く30日の記者会見では予算編成について「相当な重圧」「しんどかった」「相当疲れた」と連発。公然と「弱音」を吐いた。
>旧知の渡部恒三元衆院副議長は今月10日、民放テレビ番組で「『心身ともに疲れてしまいました』と電話で言っていた。この人がもっとおれを理解してくれてもいいはずなのにという苦労があったと思う」と裏話を披露。個人名こそ避けたが、「この人」と称した小沢氏との関係に疲れたのではと心中を察してみせた。
幻の仙谷財務相(その2止) 藤井氏、12月に漏らした辞意
http://mainichi.jp/select/seiji/choice/news/20100111ddm003010176000c.html
菅の実力は今のところ分かりませんが、小沢が据えた財務大臣であることは間違いありません。小沢に敵対した藤井を引きずり下ろし、従順な管直人を財務省に据えたのが、今回の財相更迭だったのでしょう。
>小沢氏は申し入れ前、党幹部に関係閣僚だけでなく副大臣や政務官も同席させるよう指示し、「政治主導になっていないと、はっきり言う」といきり立った。党幹部が「やめた方がいい」と説得しても聞かず、重ねて反対する側近の細野豪志組織・企業団体委員長を「お前は若い!」と怒鳴りあげるほどだった。
要望書提出の時に、怒り狂っていたのも藤井への圧力だったのかもしれません。それなのに、藤井が言うことを聞かず、自分の考える子ども手当の所得制限を見送ったりしたので、より圧力をかけて辞任に追い込んだのでしょう。自分に逆らう人間をとことん排斥するのが彼の行動原理です。
どちらにせよ、より小沢の支配が強化されたことは事実です。民主党は行政機関により多くの党員を送り込もうとしていますが、政治主導とは政府の上に党を置く、中国や北朝鮮のような一党独裁国家のようにすることなのでしょうか。いつの間にか、簡単に党幹事長の言う事に逆らう大臣を排斥し、従順な大臣を据えられる国になってしまっていました。これは自民党が最も腐敗していた経世会支配の頃に似ています。
by kokuminheiwa
| 2010-01-11 22:35