2009年 12月 19日
小沢シンパ植草一秀批判 |
>民主党の小沢一郎幹事長が12月14日の記者会見で見解を表明したが、極めて明快な説明である。
まあ、彼にとっては小沢の言う事は何でも明快なんでしょう(笑)
>読売新聞は外国賓客との会見が天皇の国事行為でないとして、内閣の助言と承認の対象外であるかのごとくに主張するが、会見は天皇の国事行為に準じる「公的行為」である。したがって、その運用に際しては国事行為に準ずる対応が求められる。
というかよみうりは小沢が国事行為と勘違いしていたことを指摘したんですよ。小沢は国事行為だからと会見中いっていたんですから。
>実際、歴代の内閣や宮内庁幹部は「象徴の行為として、内閣が責任を持つ」ものと答弁してきている
それが憲法に書いてあると言った小沢を読売は批判したんです。答弁でなく憲法から引用しない限りは弁明にもなりません。
>会見が国事行為そのものでないことを理由に、会見についての判断を宮内庁の裁量に完全に委ねるべきとの主張は正当性を持たない。
ごもっとも。しかし、問題になったのは明らかに政府の対応が原因です。一旦断っておきながら、直前になって急にやると言い出したら、ただでも慣例にうるさい宮内庁が怒るのも無理はない。
>小沢一郎民主党幹事長は、今回の会見設定について、①天皇の公的行為は内閣の助言と承認によるべきこと、②健康上の問題があるなら、優位性の低い行事をとりやめればよい、との見解を表明した。
①は完全な誤りですが。②に関しては、優位性が低いも何も、会見の話は11月30日に一旦流れているんです。その後、小沢訪中ごろに蒸し返すたんですから、優位性の前に日程にも入ってはいなかったはずです。
>宮内庁の判断が内閣の判断に優越するかのようにふるまう羽毛田宮内庁長官の行動こそ、日本国憲法の基本精神を逸脱するもので、小沢幹事長の「辞表を提出してから発言すべき」との見解は正論そのものである。
宮内庁と外務省で一旦見送ったもので、中国側も一旦は見送りを受け入れていたことを、小沢訪中後急にゴリ押ししだしたのですから、宮内庁が怒るのも当然です。
>メディアは会見予定申し入れを1ヵ月前としていることを「ルール」と表現しているが、「内規」、あるいは「慣例」と表現するべきものである。この運用方法は法律事項でも政省令事項でもない。日本国憲法第三条および第七条が唯一の法文上の規定であり、実際の運用に際して、日本国憲法の条文が優越することは当然である。
自分が条文に無いといっておいて、どこの条文を指していっているんでしょうか(笑)それに宮内庁の行動は大体が慣例にのっとってやるもの。宮内庁がかたくなに言うのは自然なことです。
>この問題について、マスメディアのなかで異彩を放つ論評を掲載しているのが北海道新聞である。極めて冷静で的確な論評を示している。一部を下記に転載する。
小沢を擁護すれば冷静だと判断する価値基準が理解できません。それに小沢がどれほどの権力者かを考えると、小沢批判をするメディアの方が反骨精神があると言っていいんじゃないですか。もちろん、北海道新聞を否定はしません。北海道新聞の言う事は正しい。まず、副主席の会見を開くことは私も歓迎していました。問題は、政府の対応です。先月の終に一旦断っておいて、小沢訪中ころになって急に実現させようとしたのはなぜですか。
他のメディアを歪んでいるといいますが、他のメディアも北海道新聞と同じように会見自体は評価しています。批判しているのは小沢の開いた記者会見に対してであり、政治利用というのは会見のことを指すのではなく、政府が一旦断っていたことを小沢の権勢の誇示の為に会見実現に動いた政府の対応です。この人は民主党を批判するマスコミを権力の走狗のようにいいますが、今や民主党こそが権力者であり、その民主党をこのような幼稚な擁護記事で応援する植草こそが御用学者としか思えません。
小沢一郎氏の正論を批判する低劣なメディア
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-13c6.html
余談 今回の記事でも陰謀論を使って必死に擁護していましたが、まともな人間がそれを読んで賛同してくれると思うのでしょうか。民主党が野党の時にそれを批判するマスコミを権力の走狗というのはわかりますが、今や権力者となった民主党を非難することはマスコミとしては健全なことです。痴漢事件の時もやたらと陰謀論を振りかざして無実を訴えていましたが、今回も陰謀論を使って自分の応援する民主党を必死に擁護しています。私は陰謀論は信じませんが、彼は何かを擁護するときに必ず陰謀論を出すようです。
まあ、彼にとっては小沢の言う事は何でも明快なんでしょう(笑)
>読売新聞は外国賓客との会見が天皇の国事行為でないとして、内閣の助言と承認の対象外であるかのごとくに主張するが、会見は天皇の国事行為に準じる「公的行為」である。したがって、その運用に際しては国事行為に準ずる対応が求められる。
というかよみうりは小沢が国事行為と勘違いしていたことを指摘したんですよ。小沢は国事行為だからと会見中いっていたんですから。
>実際、歴代の内閣や宮内庁幹部は「象徴の行為として、内閣が責任を持つ」ものと答弁してきている
それが憲法に書いてあると言った小沢を読売は批判したんです。答弁でなく憲法から引用しない限りは弁明にもなりません。
>会見が国事行為そのものでないことを理由に、会見についての判断を宮内庁の裁量に完全に委ねるべきとの主張は正当性を持たない。
ごもっとも。しかし、問題になったのは明らかに政府の対応が原因です。一旦断っておきながら、直前になって急にやると言い出したら、ただでも慣例にうるさい宮内庁が怒るのも無理はない。
>小沢一郎民主党幹事長は、今回の会見設定について、①天皇の公的行為は内閣の助言と承認によるべきこと、②健康上の問題があるなら、優位性の低い行事をとりやめればよい、との見解を表明した。
①は完全な誤りですが。②に関しては、優位性が低いも何も、会見の話は11月30日に一旦流れているんです。その後、小沢訪中ごろに蒸し返すたんですから、優位性の前に日程にも入ってはいなかったはずです。
>宮内庁の判断が内閣の判断に優越するかのようにふるまう羽毛田宮内庁長官の行動こそ、日本国憲法の基本精神を逸脱するもので、小沢幹事長の「辞表を提出してから発言すべき」との見解は正論そのものである。
宮内庁と外務省で一旦見送ったもので、中国側も一旦は見送りを受け入れていたことを、小沢訪中後急にゴリ押ししだしたのですから、宮内庁が怒るのも当然です。
>メディアは会見予定申し入れを1ヵ月前としていることを「ルール」と表現しているが、「内規」、あるいは「慣例」と表現するべきものである。この運用方法は法律事項でも政省令事項でもない。日本国憲法第三条および第七条が唯一の法文上の規定であり、実際の運用に際して、日本国憲法の条文が優越することは当然である。
自分が条文に無いといっておいて、どこの条文を指していっているんでしょうか(笑)それに宮内庁の行動は大体が慣例にのっとってやるもの。宮内庁がかたくなに言うのは自然なことです。
>この問題について、マスメディアのなかで異彩を放つ論評を掲載しているのが北海道新聞である。極めて冷静で的確な論評を示している。一部を下記に転載する。
小沢を擁護すれば冷静だと判断する価値基準が理解できません。それに小沢がどれほどの権力者かを考えると、小沢批判をするメディアの方が反骨精神があると言っていいんじゃないですか。もちろん、北海道新聞を否定はしません。北海道新聞の言う事は正しい。まず、副主席の会見を開くことは私も歓迎していました。問題は、政府の対応です。先月の終に一旦断っておいて、小沢訪中ころになって急に実現させようとしたのはなぜですか。
他のメディアを歪んでいるといいますが、他のメディアも北海道新聞と同じように会見自体は評価しています。批判しているのは小沢の開いた記者会見に対してであり、政治利用というのは会見のことを指すのではなく、政府が一旦断っていたことを小沢の権勢の誇示の為に会見実現に動いた政府の対応です。この人は民主党を批判するマスコミを権力の走狗のようにいいますが、今や民主党こそが権力者であり、その民主党をこのような幼稚な擁護記事で応援する植草こそが御用学者としか思えません。
小沢一郎氏の正論を批判する低劣なメディア
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-13c6.html
余談 今回の記事でも陰謀論を使って必死に擁護していましたが、まともな人間がそれを読んで賛同してくれると思うのでしょうか。民主党が野党の時にそれを批判するマスコミを権力の走狗というのはわかりますが、今や権力者となった民主党を非難することはマスコミとしては健全なことです。痴漢事件の時もやたらと陰謀論を振りかざして無実を訴えていましたが、今回も陰謀論を使って自分の応援する民主党を必死に擁護しています。私は陰謀論は信じませんが、彼は何かを擁護するときに必ず陰謀論を出すようです。
by kokuminheiwa
| 2009-12-19 11:57