2010年 01月 08日
メモ 紂王 |
>生没年不詳。中国古代、殷王朝末代(第30代)の王。帝辛がその名で、『史記』には「天下にこれを紂と謂う」とあるから、紂とは他称であろう。夏代末王の桀とともに、桀紂として悪徳の王の典例とされるが、各王朝最後の王は、後世悪逆とされるのが常であり、実態は不明である。伝えるところでは、知力ともに優れていたが、酒、淫楽、婦人におぼれ、妲己(だっき)を愛してこの言に従った。酒池肉林、炮烙(ほうらく)の刑は、紂の行った悪事の象徴的なことばとされる。甲骨文の記すところによれば、紂のとき、東方(山東方面)に長期の遠征に赴いたおり、その虚をつかれて西方で勢力を蓄えた周に滅ぼされたとする説もある。周の武王の大軍に敗れ、朝歌の鹿台で、火中に身を投じて死んだとされる。没年については、紀元前1122年説、前1028年説のほか異説が多く不明であるが、ほぼ前11世紀後半(前1070~60年前後)のことであったろう。[ 執筆者:松丸道雄 ]
http://100.yahoo.co.jp/detail/紂王/
http://100.yahoo.co.jp/detail/紂王/
by kokuminheiwa
| 2010-01-08 15:05